「このリソース、適切にアロケーションしないとですね!」
そう言われた瞬間、筆者は思ったのである──「いや、配分って言え」と。
だが、職場では「配分」などという言葉はもはや絶滅危惧種。代わりに「アロケーション」が闊歩している。人員のアロケーション、予算のアロケーション、時間のアロケーション……
──まるでアロケーション教の信者のように、みんながこの単語を唱えているのである。
なぜ「割り振る」「分ける」「振り分ける」ではダメなのか? なぜ人は「アロケーション」に取り憑かれてしまうのか?
さあ、「アロケーション」という呪文の正体を暴いていこうではないか。
アロケーションとは何なのか?
まず冷静に考えてほしい。「アロケーション」とは何か? どんな難解な概念かと思いきや、ただの「配分」である。
- 人員を適切にアロケーションする → 人を割り振る
- 予算のアロケーションを考える → お金の配分を決める
- 時間をうまくアロケーションしよう → スケジュールを調整する
──そう、日本語で言い換えたら、小学生でも理解できる内容なのだ。
だが、ビジネスの現場では「配分」ではダメらしい。カタカナ語にすると、なぜかそれっぽく聞こえるのがポイントだ。
たとえば、社内会議で「リソースのアロケーションが……」などと言おうものなら、聞いている方も「おっ、それっぽい!」と勝手に納得してしまうのである。
しかし、その実態はただの「割り振るだけの話」なのだ!
アロケーション地獄の実態
「アロケーション」が好きすぎる人々は、日常的にこの言葉を乱用する。特に会議では、アロケーションが飛び交いすぎて、もはや呪文の応酬である。
▼ある日の社内会議
上司A「この案件、リソースを適切にアロケーションして……」
上司B「いや、今のアロケーションではボトルネックが発生するので、再アロケーションが必要ですね」
上司C「アロケーションの最適化が急務だな」
筆者の心の声「いや、誰をどこに配置するかって話だろ……」
アロケーションが大好きな人々に囲まれると、何の話をしているのか一瞬わからなくなる。何やら高度な戦略を練っているように見えるが、要するに「人とモノをうまく振り分けるだけ」である。
そして、会議の終盤には決まってこう言われるのだ。
「じゃあ、リソースのアロケーションについては引き続き検討ということで」
──何も決まってない!!
「アロケーション」と言っておけば賢く聞こえる、そんな錯覚の中で人々は生きているのである。
アロケーション祭をどう乗り切るか?
さて、こんな「アロケーション祭」とも言うべき状況の中で、我々はどう生き延びればいいのか?
答えはシンプルだ──「アロケーション」をオウム返しすればいいのである。
必殺・アロケーション返し
このプロジェクト、リソースのアロケーションが課題でね……
なるほど、リソースのアロケーションですね。適切にアロケーションすれば解決できますね
おお、そうだね!
……何も言っていないのに、なぜか評価される。
また、もし「アロケーションをどう最適化すべきか?」と問われたら、こう答えよう。
現状のアロケーションを可視化した上で、最適な形にリバランスしましょう
これである。
実際には何の解決策も提示していないが、言った感は出るのである。
しかし、アロケーション地獄を完全に回避したいなら、もう一つの方法がある。それは──
「それってつまり?」と冷静に聞き返す作戦
「アロケーションとは何か」と言う強制リセットをかけることも有効である。
この案件、リソースのアロケーションを……
つまり、人をどう割り振るか、という話ですよね?
……あ、そうそう
こう聞き返すと、意外と相手も「そういうことだったのか」と気づくのである。
アロケーションなんて恐れることはない。要は「配分」なのだから!
まとめ:アロケーションは怖くない
結局のところ、「アロケーション」とは「割り振るだけの話」なのである。
- 人員をアロケーションする → 人を配置する
- 予算をアロケーションする → お金を振り分ける
- 時間をアロケーションする → スケジュールを調整する
──な? ただの日本語で済む話だろ?
しかし、カタカナ語が飛び交うビジネスの世界では、「アロケーション」を使うと一気に意識が高まる。だからこそ、上司も先輩も得意げに使いたがるのだ。
だが、我々はもう騙されない。アロケーションとはただの配分。怖がる必要はない。むしろ、「アロケーションですね!(※日本語訳:割り振るだけ)」と心の中でツッコミながら、したたかに会議を生き抜くのである!










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