筆者(ファイナルFIX)の自己紹介をしておこう。
筆者は、カタカナ語の氾濫するビジネス界を生き抜く、冷めた目のサバイバーである。
ギリギリ昭和生まれ。新卒で広告業界に飛び込んだのが間違いだったのか?そこで待ち受けていたのは「バリューを最大化するために、エビデンスベースでコミットしよう」といった“呪文”の嵐。まさに、「カタカナ語のカンブリア紀」とも言うべき環境だった。
意味もわからず苦笑いをしながら頷いていた日々を経て、いつの間にか自らも「アジェンダをセットしてナーチャリングが必要ですね」などと口走るようになっていた。カタカナ語の汚染は、思った以上に深刻だったのである。
──だが、転機は突然訪れた。
ある日、後輩から「リソースって、つまり何ですか?」と聞かれたのだ。その瞬間、筆者は悟った。「あれ……自分は今、普通の言葉で説明できるのか?」と。
改めて考えてみると、カタカナ語は“知ったふりをするための煙幕”として機能している。もはや、日本語を使わずに会話することが“ビジネススキル”になっている(そう思い込んでいる)のではないか? そんな疑問がふつふつと湧き上がり、以来、筆者はカタカナ語を陰で徹底的にいじることを密かな楽しみとするようになった。
しかし運命は残酷である──異動先は、某ECモール(楽しげな名前のあれだ)出身者が君臨する部署だった。そこでは「エンゲージメント」「オンボーディング」「アラインメント」などの新種の呪文が飛び交い、再びカタカナ語カンブリア紀第2期に突入する。筆者は震えた。「もはや日本語の未来は風前の灯なのではないか?」と。(元々、筆者は日本の小説をこよなく愛する活字中毒者なのだ)
こうして、このブログが誕生した。
筆者はマーケティング・コンサル・IT・広告といった「カタカナ語を話さないと生きていけない」業界を渡り歩いてきた。だからこそ、知っている。「カタカナ語は、言った者勝ちの理不尽な呪文である」と。
例えば「エビデンス(笑)」。上司は「エビデンスを出せ!」と連呼するが、いざ提示すると「いや、現場感覚とズレてるな〜」と却下される。だったら最初から「経験則でいいじゃん」と思うのだが、それを言うと「ビジネスの話ができない奴」扱いされる。結果、「エビデンス」という言葉だけが空虚に飛び交うのだ。
しかし、そこでめげてはいけない。そう、カタカナ語は「言った者勝ちの理不尽な呪文」なのだ。例えば「KPIをコミットしろ!」と言われたら、「つまり何をすれば?」と聞き返せる力を我々は身につけなければならない。「この施策、スコープアウトしてグロースしましょう」と言われたら、「いや、やらないってことでいいんですよね?」と返せる胆力を磨く。
しかし時には、相手に合わせて「このプロジェクト、スコープアウトしないようにアラインさせつつ、バッファ持たせるのが大事ですよね。」などと返せる柔軟性も必要だ。
カタカナ語とは、結局“それっぽく聞こえる”という一点に価値を置いた虚構の言葉なのだ。しかし、だからこそ、こちらも“それっぽく”使いこなせば、いくらでも立ち回れる余地がある。
──「適度にカタカナ語を使いこなし、しかし決して飲み込まれない」戦略的サバイバル術を身につければ、何者も恐れる必要はないのだ。
このブログでは、読者諸君に、その一端を伝授していこう。恐れることはない。さあ、曖昧で気取った言葉が渦巻くカオスへ飛び込むのだ。
